オールブラックスの英雄たち:ジョナ・ロム

ラグビー界初の世界的スーパースターとなった、ジョナ・ロム。初めて世界の舞台に踊り出た瞬間、一大センセーションを巻き起こしました。

 その体格とスピード、ディフェンダーをなぎ倒して走り抜ける豪快なプレーが注目を集めるであろうことは誰もが確信していましたが、短いキャリアの中でここまでの地位を築くと予想していた者はわずかでした。

 史上最年少でオールブラックス入り、ラグビー・ワールドカップ15トライは史上最多記録です。
 
 

 比較的短い期間にオールブラックスとして63試合に出場、1995年のワールドカップにおいて国際的なスター選手の地位をゆるぎないものにしました。

スター選手への道のり

 フルネームは、ジョナ・タリ・ロム。1975年5月12日にオークランドで誕生し、若いころはニュージーランドU-19代表、U-21代表にも選ばれました。

 ロムが初めて国際的に注目されたのは、1994年の香港セブンスに出場した時のことでした。並外れた体格とパワー、そしてスピードを兼ね備えたロムは、相手を威圧するような他に類を見ない選手だったのです。最盛期には、100m走で11秒を切るほどの俊足の持ち主でした。

 1994年、史上最年少の19歳と45日でオールブラックスに選出され、対フランス戦のウィングとしてデビューしました。これは1905年以来エドガー・リグリーが保持していた最年少記録を塗り替えるものでした。

 1995年ワールドカップ・南アフリカ大会では、オールブラックスとして2度の試合経験しかなかったにもかかわらず出場メンバーに選ばれ、5試合で7トライを達成、世界をあっと言わせました。 

 オールブラックスとしてプレーした63試合で合計37トライを決めましたが、そのうち半分以上は1995年のシーズンと1999年のワールドカップで記録したものです。

 ディフェンダーの中に突っ込み、軽々と相手をなぎ倒して走り抜けるロムは、当時のイングランド主将ウィル・カーリングをして「怪物」と言わしめました。

 その爆発的なプレーにより、全盛期には1人でチケットの売り上げをアップさせることができるラグビー界きっての人気選手でした。

病気との闘い

 ロムに初めて病の兆候が現れたのは1996年のこと。腎臓の機能が低下する病気、ネフローゼ症候群でした。このために、ラグビー選手として絶頂期だったであろう時期にプレーすることができなくなってしまったのです。

 2002年までオールブラックスのメンバーではありましたが、病状は悪化を続け、2003年にはスーパー12の途中で戦線を離脱しました。

 2003年5月、ニュージーランド・ラグビー・フットボール・ユニオンは、ロムが週3回の人工透析を受けていることを公にしました。足の神経を痛める副作用もあり、医師からは腎臓移植をしなければ歩くこともできなくなるだろうという警告を受けました。

 2004年7月、ウエリントンのラジオパーソナリティ、グラント・ケレアマ氏からの腎臓提供を受け、移植手術が行われました。

カムバック

 手術後、ロムはラグビー選手として復帰を目指すことを宣言し、2005年6月、英国トウィッケナムで開催されたイングランド元主将マーティン・ジョンソンの引退を記念する招待試合でカムバックを果たします。前半で1トライを決めたロムですが、その際に肩を負傷してしまい、その手術のために2005年の国内リーグ出場を断念せざるを得ませんでした。

 その後は国内トップリーグ所属のノースハーバーでコーチ役を務めたり、英国セルティック・リーグに移籍し、ウエールズのカーディフ・ブルーズでプレーしたりしましたが、肩や足首の負傷で浮き沈みを繰り返しました。

 国外での3シーズンを経てニュージーランドに戻ったロムは、マッセー、そしてノースハーバーと移籍しながら2007年ワールドカップで再びオールブラックス入りすることを目指しました。しかし2007年の初めにはその可能性がないことが明らかになりました。

 2007年、ロムはついに引退を決めますが、その2年後、フランス・フェデラル1所属のマルセイユ・ヴィトロールと2009-2010年のシーズン契約をしました。ポジションは少年期に楽しんだナンバー8です。

とどろく名声

 2007年、ロムはラグビー界に貢献したとしてニュージーランド・メリット勲章を授与されました。また、ラグビー界の殿堂入りも果たしました。

 ロムのプライベートもメディアを賑わせました。2度の結婚と離婚を経て、現在は3人目のパートナーとなるナディーン・クワークさんと一緒に暮らしています。

 スポーツ界のスーパースターとして、数々の高額オファーも舞い込みました。米国アメフト界からの数百万ドルのオファーを断ったとも言われています。

 ボンド映画『007ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999年)の悪役ガボールとしての出演依頼も、ラグビーに専念するために断りました。

 ロンドンのマダム・タッソー館にはロムの蝋人形があります。ロムは一時期自分の背番号である11を眉に剃り込んでいましたが、今は胸に11というタトゥーを入れています。

 また、ロムの名を冠したプレイステーションのゲーム『ジョナ・ロムズ・ラグビー』も発売されています。

 ジョナ・ロムは、ショーン・フィッツパトリック、ジョン・カーワン、デーヴィッド・カーク、アンドリュー・マーテンス、マイケル・ジョーンズと共に、2011年ラグビー・ワールドカップ大使に任命されました。

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