ヨット王国 - ニュージーランド

セイリング先進国、ニュージーランドは、ほとんどの国際大会のトロフィーを手にしてきました。この成功の秘訣は一体どこにあるのでしょうか。

 外洋ヨットレースの頂点を極めるボルボ・オーシャンレース(注1)では、ジャーナリストの間で、すべてのチームに、必ず1人はニュージーランド人がいるということが話題になっていました。チームの国籍に関係なく、多くのニュージーランド人がクルーとして加わっているのは決して珍しいことではありません。ニュージーランドという国が、いかにヨットの世界で大きな位置を占めているかを示しているとも言えます。2002/2003年にオークランドで開催されたアメリカズ・カップ(注2)でも、ルールによって参加チームの母国に2年間住んでいる事が条件となっていましたが、それでも各国のチームにニュージーランド人が重要メンバーとして加わっていたのです。

 ニュージーランドはこれまでに、アメリカズ・カップを2回、ウイットブレッド世界一周レース(注3)では3回、アドミラルズ・カップ(英)(注4)1回、ケンウッド・カップ(米)(注5)3回、サザン・クロス・カップ(豪)(注6)4回の他、すべてのトン・カップ(注7)を含むほとんどの国際大会のトロフィーを手にしてきました。控えめに数えても、ニュージーランドはこれまでに60を越える世界タイトルを手にしてきました。さらに、オリンピックのセイリング種目でも10個のメダルを獲得しており、ニュージーランドで最も期待のもてるオリンピック種目でもあるのです。

 では、セイリングにおけるこの成功の秘訣は一体どこにあるのでしょうか。

 ニュージーランドの子供達は幼い頃から海やヨットに慣れ親しみ、レベルの高い地元のローカル・ヨットレースで腕を磨きながら育ちます。また、国際的競争力の高い造船業をはじめとするマリン業界の存在が、ニュージーランドのヨット界全体を支えています。それらすべてが各々の役割を担い、ヨットの普及に繋がっているのです。

 そもそも、島国であるニュージーランドには海洋に関わる深い歴史があります。はるか昔、ポリネシアからカヌーに乗って広大な太平洋を渡り移り住んできたマオリの人々、そして、後に新天地を求めて英国などから移住してきたヨーロッパ人にいたるまで、ニュージーランドは航海の歴史とともに歩んできたといっても過言ではありません。

 他国から遠く離れた島国ニュージーランドでは、開国以来、貿易も外交も海上交通に頼らざるをえませんでした。必然的に、耐航性に富んだ船を造り出し、それを操る航海術が発達していきました。また、細長い国土ゆえ、内陸部といっても海に近く、その海岸線には数え切れないほどの湾や入り江が存在します。開拓にあたっては船を操るあらゆる技術が重要な要素となっていたのです。国民1人あたりのボートの所有率では、ニュージーランドは世界のどの国よりも高いといわれています。それほど、ニュージーランドとボートは切っても切れない関係にあるのです。

 ニュージーランド人は何でも自分で作るのが好きな国民です。手造りのボートやヨットも少なくありません。さらに、諸外国とは異なりニュージーランドにおけるヨットは一部のエリートのためのスポーツではありません。ニュージーランド人の優秀なヨットマンの多くは、ガレージ(車庫)や庭先の物置でボート造りに熱中するところから、そのキャリアが始まっているのです。

 例えば、アメリカズ・カップ、ウィットブレッド世界一周レース、ジュール・ベルヌ・トロフィー(注8)などで大きな成功を収めた故ピーター・ブレイク卿が自宅の庭で初めてボートを造った時は、母親の大切な花壇をメチャメチャにしてしまったそうです。また、世界的に活躍しているニュージーランドのヨット・デザイナー、ブルース・ファーも、自宅の物置でセイリング・ディンギーを造ったのが始まりと言われています。

 その他の多くのヨットマンにも似たような逸話があります。ニュージーランド・ヨット協会(ヨッティング・ニュージーランド)のナショナルチーム監督を勤めたピーター・レスターも同じような経験を経て国際的な成功を収めるに至りました。気軽に楽しめる海やボート、穏やかな気候、そして広く長い海岸線、そういったニュージーランドが持つ環境のすべてが、この国のヨットマンを育てるのに大きな役割を果たしている、と彼は語っています。また、この国ではビーチに行ったり海で遊ぶことはごく当たり前のことだ、とも語っています。

 ピーターの仕事のひとつは、ニュージーランド中に点在する100を越すヨット・クラブをネットワーク化し、そこで行われる数多くのヨットレースの中から新しい若い才能を発掘することです。現実的には、ヨットも他のスポーツと同様、競技者として打ち込むということは、たやすいことではありません。それは、ライフスタイルを変えなければならなかったり、やらなければならない仕事が増えるということを意味します。ジュニアの場合、本人のみならず、父母の負担も大きなものになります。週末や余暇を過ごす楽しみが減るなど多くの問題に直面することになるのです。たくさんの才能がまだたくさん眠っている、と彼は自信を持って語ります。国際セイリング連盟が関わる主要レースで、ニュージーランドのジュニアチームは着実に上位5チームに入っている、とも述べています。

 ニュージーランド人のヨットでの成功について語り始めると、いつも必ずPクラスという名で知られるこの国独自の1人乗りセイリング・ディンギーの話になります。窮屈で敏感ゆえ繰船も難しく、中には高級家具のように艶やかなニス塗りに仕上げられた船を目にすることもあります。この小さなヨットが、ニュージーランド・ヨットの原点ともいえる重要な意味を持っているのです。

 トップクラスと言われるニュージーランド人ヨットマンのほとんどが、この繰船の難しい小さなヨットからそのキャリアをスタートさせています。その証拠にPクラスは、チーム・ニュージーランドのスキッパーであるディーン・バーカーをはじめ、日本でもおなじみのクリス・ディックソン、ラッセル・クーツ、故ピーター・ブレイク卿など数え切れないヨットマンたちのサクセス・ストーリーの中に登場しています。毎年開催されるトップクラスのPクラスレースには100隻以上の参加があります。レースは真剣そのもので、レースを通して学んだことは、彼らの人生の中でもかけがえのない財産となっていくのです。ジュニアは通常、オプティミストという安定した平底艇からスタートし、Pクラスへと進んでいきます。その後、一連のセイリング・ディンギーを経験し、オリンピッククラスのヨットへと進んでいくのです。

 日本を含め少なからぬ国ではセイリング・ディンギー、つまりオリンピック艇種のような小型のヨットから、アメリカズ・カップや外洋レースで使われるような大型のキールボートへの移行時に壁ができています。日本でも、セイリング・ディンギーは学生スポーツ、キールボートは社会人、というような棲み分けができており、そこからなかなか抜け出せません。セイリング・ディンギーという専門性のある世界から、また少し異なるキールボートへの移行が難しいという現実は、スポーツ界から将来有望な人材を失う可能性があるのです。

 この壁を取り除くため、ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロンは、1986年にユース・プログラムをいち早く導入しました。このアイデアは、フリーマントル(豪)で開催された1986-87年度のアメリカズ・カップ中に生まれたものです。この年、ニュージーランド初のアメリカズ・カップへの挑戦は不成功に終わりましたが、この国のトップクラスのヨットマンたちが世界的に高い競争力があること、しかし彼らの後を継ぐ若者たち(ユース)のトレーニングや準備が整っていないということが明らかになったのです。

 ユース・プログラムは開始以来世界的に有名なハロルド・ベネットを中心に運営され、これまでに、男女合わせておよそ500人の若いヨットマンたちが、センターボーダーとは異なるキールボートのハンドリングを、複数のボートで競うフリート・レースや一対一で争うマッチ・レースを通して習得し、このプログラムを巣立っていきました。

 その他のニュージーランドのヨットクラブに対抗するようにして生まれたこのプログラムは、10隻のエリオット5.9という小型のキールボートを用いて、年間200を越えるレースをこなす厳しいトレーニング・カリキュラムを12ヶ月サイクルで実施しています。ボートを操作するのに高度な技術を要するこのヨットは、今ではヨットマン育成に欠かせない役割を果たしています。ユース・プログラムのメンバーや卒業生はセイリングレベルの高さで定評があり、社会人中心のキールボートレースでもクルーとして引っ張りだこで、アメリカズ・カップの代表チームであるチーム・ニュージーランドはもちろん、他国のアメリカズ・カップ挑戦チームにも多く在籍するなど、プロのヨットマンとしてトップクラスの国際レースで大活躍しています。これだけでも、ユース・プログラムがいかに優れた効果を挙げているかがわかるでしょう。

 優秀なプロのヨットマンはニュージーランドが誇る存在です。しかし、逆に、その優れたヨットマン育成プログラムのおかげで、ニュージーランドが被害者になりつつあるということも意味しています。つまり、ローカルレースを経てトップの座に昇りつめた優秀なニュージーランド人のヨットマンがライバル国のチームによって引き抜かれ、ニュージーランドが獲得してきた数々のトロフィーが、彼らの手によって脅かされているというのも事実なのです。

(注1)ボルボ・オーシャンレース
ほぼ、4年に1回開催される世界一周レースで、ヨーロッパをスタートし寄港地に寄りながら極寒の南氷洋を走り抜ける過酷なレース。かつてはウイットブレッド世界一周レースと呼ばれていた。

(注2)アメリカズ・カップ
世界最古のレースと呼ばれる、英国起源のヨットレースの最高峰。長く米国のニューヨークヨットクラブがカップを保持していたが、その後、オーストラリア、米国と渡り、ニュージーランドが手にした。現在はスイスが保持。

(注3)ウイットブレッド世界一周レース
現在はボルボ社が買い上げ、ボルボ・オーシャンレースと呼ばれている。

(注4)アドミラルズ・カップ
英国カウズで隔年開催され、外洋ヨットのオリンピックとも呼ばれる伝統の一戦。大きさの異なる3隻のヨットでチームを組む国別対抗のシリーズレース。ニュージーランドは87年に優勝。

(注5)ケンウッド・カップ
米国ホノルル沖で隔年開催された外洋ヨットのシリーズレース。アドミラルズ・カップと交互に開催されていた。

(注6)サザン・クロス・カップ
豪州シドニーをベースに行われていた、数本の短いブイを周回するレースと外洋レースを組み合わせて総得点を競うシリーズレース。

(注7)トン・カップ
70年代から80年代にかけて盛んだった外洋ヨットのクラス分けによる世界選手権。ヨットの大きさによって1/4 ton(クオータートン)から2 ton(ツートン)までいくつかの階級に分かれていた。

(注8)ジュール・ベルヌ・トロフィー
『80日間世界一周』の作者、ジュール・ベルヌにちなんで設けられたトロフィーで、80日以内にヨットで世界を回った艇に授けられた。現在は63日と大幅に短縮されている。

より詳しい情報:

ハロルド・ベネット(Harold Bennett)
ロイヤル・ニュージーランド・ヨット・スコードロン
(Royal New Zealand Yacht Squadron)
電話 +64 9 360 6808